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蹴鞠と御能


平成30年(2018年)9月17日



源鳳院築100年記念講演第二弾。

蹴鞠と御能という聞き慣れない組み合わせ。

これが宮廷文化と御能の関係性を考えていくシリーズのはじまりでした。

京都には明治天皇の勅旨をもって京都在住の公家華族が中心となって組織された、「蹴鞠保存会」という会があります。その九十年誌が刊行されており、その中には明治時代の会員名簿が掲載されています。その中に金剛直喜という名前があることに気がつきました。金剛謹之輔(直喜)という方は、明治期の能の名手として知られている方で、現在の金剛家の礎を築かれた方です。

講師の宇高竜成先生はその金剛流という京都に本拠を置く流派の能楽師。ご自身の竜成の会で定期能を開催されたり、様々なワークショップや海外の芸術家とのコラボなど多岐にわたってご活躍されています。

宇高先生と初めてお会いしたのはあるお茶会のことでした。その後度々夜に集まっては能楽談義に花を咲かせるようになりました。いつも時空を超えた興味深いお話ばかりで、これを自分たちだけのものにしておくのは勿体ない、何か一緒に企画しませんかという流れになりました。

先生のお忙しいスケジュールの中ではありましたが、約1年先までの講演会数回の日程と大まかな内容を決めることができ、一気に現実味を帯びてきました。


時は遡り、4年前の夏のこと。金剛能楽堂では毎年夏に金剛家所蔵の能装束と能面の展観が虫干しを兼ねて行われており、お邪魔することになりました。そこで会場におられた宇高先生に先ほどの金剛直喜氏と蹴鞠保存会のお話をしたところ、蔵の中から鞠が出てきたと教えてくださり、お願いして拝見させていただくことが叶いました。能の家である金剛家と宮廷の球技である蹴鞠が目前で結びついた瞬間でした。

そのような経緯があった後、先生から遊行柳(ゆぎょうやなぎ)という曲の中に蹴鞠が登場すると教えていただきました。それは源氏物語の若菜上の場面を回想するというものでした。

講演では蹴鞠についての簡単なご説明と、金剛家と蹴鞠のつながりについてお話された後、遊行柳の謡と舞を実演いただきました。舞の中には右足で鞠を蹴る所作が登場しました。それが実際の蹴鞠の所作に近い形で伝えられていることに驚きました。

この他にも呉服(くれは) という織物を題材にした曲の謡もご披露していただきました。また、講演日が敬老の日ということもあり、特別に老人の面をたくさん持参いただき、その見どころを詳しくご解説いただくなど、盛りだくさんの内容でした。

思い返せば金剛家で出会ったひとつの鞠がタイムカプセルになっており、当時の人々の関係や物語を浮かび上がらせ、現在を生きる我々を引き合わせてくれたのかもしれません。

かつて御所と能、公家と能楽師といった関係性が確かに存在していました。そのことは金剛謹之輔氏の残された回顧録にもうかがい知ることができます。そこには蹴鞠道の宗家である公家飛鳥井家に入門し、それは「遊行柳の一節の呼吸を真に会得せんがため」であると記されているのです。まさに芸を極めるために公家文化に実際に触れておられ、その環境が身近に存在していたという事です。そこで得られた形が今に至るまで伝承されていると思うと感慨深い気持ちになります。

それぞれの文化を分離してとらえるのではなく、お互いの関係性が近い京都の中で育まれ、影響を及ぼし合ってきたことを見つめ直す重要性に気づかせていただきました。



山科 言親






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