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日本の七夕 -宮廷の年中行事とその変遷-


平成30年(2018年)8月18日



大正9年(1920年)に源鳳院が建築されてから100年を迎えるのを記念して、宮廷文化をテーマにした連続講演会の企画が2018年の初夏に始まりました。


その第一弾としてテーマに掲げたのは、五節句のひとつで現代でも風習として馴染みのある七夕。

7月7日がその日になりますが、今は明治時代以後の新暦で考えられていますので、昔の宮中行事として行われていた季節をより感じるために、江戸時代までの旧暦に基づいて開催することにしました。酷暑が長く続く現代ではイメージしにくいのですが、暦上は初秋の行事として七夕は行われていました。



講師の小倉嘉夫先生(大阪青山大学)は、和歌文学がご専門。長年冷泉家の年中行事をお手伝いされたり、蹴鞠保存会で蹴鞠を実際にされるなど、御所文化を肌で感じながら伝えておられます。


講演では、七夕伝説が中国から伝えられ、それがどのような意味を持ったのかという本質的な部分に触れられ、日本においていかに受容され発展していったのかという変遷を通史的に追いました。平安時代から江戸時代まで、古今和歌集などの歌集に残る和歌や山科家の日記などを紐解きながら写真も交えて解説していただきました。


紹介された和歌の内容にはその当時の人々が行っていた儀式の様子や思いがちりばめられていました。七夕行事が宮廷・公家の間で営まれ、手芸の神である織姫にその巧を乞い、祀ったことに原型があることがよく分かりました(乞巧奠)。江戸期の宮中では和歌を七首詠むなど七種類の遊びをすることが行われており、「七」という数字にこだわった遊心の詰まった文芸サロンが創出されていました。宮中の多才な人々が忙しくも豊かな時間を、それぞれ星に願いを込めて過ごしていたのだろうと想像することができました。



七夕行事は宮中から民間に伝わり、現在に至るまで短冊に願い事を書くなどの形で残っています。

今回のように宮中の文化を辿ってみることで、日常にある日本文化の本質や根源を知ることができる。宮廷が日本文化の核として存在し、様々な文化に影響を与えてきたという視座を持つことで見えてくることの可能性を感じます。


ひとつの伝説に思いを馳せて、毎年お供えや儀式を行う。その中身は時代よって変遷しながらも祈りや願いをもって続けられてきました。人間の営みの奥深さを改めて考えさせられました。





企画から終始手探りな状態の中でしたが、大広間がいっぱいになるほど大勢のお客様にお越しいただき、講演後のお食事も含めて盛会の内に終えることができました。床の間のしつらえも七夕ゆかりの掛軸を飾るなど、その時にしか味わうことのできない優雅な雰囲気に包まれました。


会場の外に出て空を見上げると美しい半月が出ており、まさに織姫と彦星の逢瀬をつなぐ天の川に浮かぶ“渡し船”という講演で話されていた光景が広がっていました。月の満ち欠けを含めて物語を体感できるというのは、旧暦で日本文化や季節感を捉えなおしてみることの大切さを教わりました。

また皆様を源鳳院へお迎して、七夕のひとときを過ごす機会があればと思っております。



〈追記〉

講演から時が経って、忘かけていたことがありました。


講演終了後、参加者の有志で怪談会を行いました。会場の電気を暗くし、床の間の掛軸も幽霊が刺繍された物に変えるなど雰囲気作りをして、皆さん持ち寄った話を披露し合いました。最初は遠慮して話さなかった方も意外と魅力的な怪談をお持ちだったりして、怖いというより面白い、納涼らしい会でした。

夜遅くまでご参加いただいた方、ゲストとして飛び入り参加してくださった方、色々なものを持参してくださった方、皆さん有難うございました。


山科 言親





#和歌 #宮中 #七夕 #節句

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